たらこがおいしかったことだけ鮮明に覚えている

 

3月11日。わたしが黙っていてもいろんなひとが黙っていない。よいしょよいしょと特集が組まれるのをぼーっと眺めてしまう。なんだか毎年、3月11日、と思うだけで前日からきもちがはかはかして落ち着かない。かといって何をするでもないんだけど。

 

 

車門という盛岡の喫茶店に知人を案内し、コーヒーといちごのパフェを頼んだ。13時すぎ。まだ肌寒い外から逃げ込むようにお客さんは途絶えず、店内はちょうどよく混んでいた。あと1時間半くらい。そわそわしてしまう。「黙とうしたいんですけど」と言い出したら気まずくなるだろうか。

 

 

 

あの日は――あの日を指すのに”あの日”となるべく言いたくないのにうまくいかない――冬期講習がちょうど休みだった。一人で実家のリビングにいてテレビを見ていた。そろそろ夕飯の支度をするか、と考えていたころ、地鳴りがした。ミシミシ聞こえた。真っ先に飼い犬のミルクがぶるぶる震えてわたしの足元にすり寄ってきたのを「ん~、どうしたのミル」と抱きかかえようとした瞬間、歪んだ。家が丸ごと揺れてたわみ、外壁もろとも左右に平行四辺形になっているような感覚があった。「やば」「うそ」「なになに」と大きな独り言を声に出して、食器棚をすべて閉じ直し、立てて飾ってあった大皿を横たえ、薄型テレビを支えた。携帯電話から聞いたことのない音がする。二階の本棚が倒れた音がする。めったに鳴かない犬が吐息ともつかない弱い声でひゅんひゅん鳴き続けている。これ、やばくない?こういう時どうすんだっけ、ガス…はうちIHだから大丈夫。戸をあけとくんだっけ。あ、まってまってこれやばい、それどころじゃないな。身の安全…。声に出しながら机の下にもぐると身をかがめるわたしの腹部に犬が潜り込んできた。「よしよし、大丈夫よ、大丈夫」犬に話しかけながら、自分が混乱していることを自覚していた。ちょっと興奮していた。なぞの正義感みたいなものがこみ上げてきた。

 

mixiで流れてくる大量の情報、ガソリンスタンドに並ぶ不機嫌な大人たち、お一人様おひとつを守らないおばさんの目つき、ラジオのアナウンサーの「落ち着いてください!」という荒い声、ふとい蝋燭、放射能が漏れたからイソジンを飲めというデマ、大船渡のコザは死んだんじゃないか、電話の回線を不用意に使うな、自家発電がある家はいいよなあ、自転車で勤務先まで行く母、ご近所さんのおかげで無事に迎えに行くことのできた弟のことを抱きしめそうになる、こんな時に電気使ってヘアアイロンで髪巻いてんじゃねえよ、しばらく冬期講習ないらしいです、2-4の連絡先わかんない大久保と大谷のメアド知ってる人回してください、てんちむピースした写真ブログにあげたらしいよ、死体が打ちあがってる写真見ちゃった眠れない、レトルトの雑炊とか買っておけばよかった、水出る?雪とかそうか?バーカそこまでサバイバルしなくていいよ。

 

いま思い出せることは断片的にはたくさんあるけれど、時系列ではうまく思い出せない。実際電気が止まっていたのは何日だったのか、すべての電源が止まった状態で排せつや入浴をどうしていたのか、ラジオを流しながら家族で寄り添って眠った記憶はあるのに昼間どうしていたのか思い出せない。

 

初めて電源のついたテレビで一番最初に見たのは黒い波に飲み込まれる街の映像だった。うそ、って言って、冗談でしょっておもって変に微笑んでしまった。遺体を車から降ろすのを手伝った、と言って沿岸から帰ってきた父が嗚咽を漏らして泣いた。生ものだからどうせだめになるから、いいから、と魚屋がたらこを割引で売ってくれた上に銀シャリもパックに入れて持たせてくれた。そのごはんがあったかくて、たらこがおいしくて、どうなっちゃってんのか意味わかんなくて、むかついて、絶望して、わんわん泣いた。怖かった。何に怖がっているかわからないことが怖かった。

 

2か月後にボランティアで見た大船渡は戦場のようだった。ものすごい異臭がした。息を吸うのも恐しくなって細く吐いてばかりいた。壊れた家の壁には威勢よく「OK」と太いスプレーで赤く書かれていて、それは「取り壊しOK」という意味だった。川は砂浜になり、町も砂浜になり、泥にまみれて写真やままごとの道具が出てきた。よく言えたもんだと思った、がんばれなんて。

 

何も言いたくないし何も聞きたくないと思った。全部偽善だし、全部偽善だと思ってしまう自分が嫌だった。あのにおいを嗅いでいない人間が何を言っても信じられないと思ったし、あの黒い波を直接見ていないわたしは何も言えないと思った。

 

コザは死んでいなかった。前に住んでいた家も公園も無事だった。何も失っていないのに、どうしてこんなに違和感があるんだろう。ずっと。

もう6年経ったんだ。

 

 

 

 

 

 

市内では黙とうのサイレンくらい鳴るだろうと思っていたのに鳴らなかった。わたしが「あの」と言うと彼は時計を見て、「しましょう」と目を閉じた。わたしは目を閉じながら去年の黙とうを思い出していた。黙とう中、あまりにも静かなので怖くなって薄眼を開けた。仙台の百貨店で、空っぽのエスカレーターだけが動いていて、お客さんも売り子もみな立ち止まっていた。あの時が止まったみたいな瞬間がずっと忘れられない。

 

 

目を開けると向かいに座る彼はまだ黙祷していた。人が祈る顔はきれいだと思った。

店を出ると雪がちらついていた。毎年あの時と同じような雪が降るわね、とすれ違ったしらないおばさんは言った。パレードのような音楽が聞こえてくる。追悼のセレモニーらしいけれど、屋台も出ていてまるでお祭りだった。

 

 

 たらこがおいしかったことだけやたら鮮明に覚えていて、だから、今になってもわたしはたらこご飯をあんまり食べられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東北大短歌で取材を受けた震災詠関連の原稿が今月末くらいに発表になると思うので、一生懸命がんばったので是非読んでほしいです。

 

 

 

おめはんど顔ッコ上げてくなんしぇとアカシアの花天より降りけり(2011)

 

雪の上に雪がまた降る 東北といふ一枚のおほきな葉書(2015)