アカシアの天ぷら

 

 

9年前から母と共に俳句をやっている。風は風でもいまの風に名前があること、花の名前をちょっとずつ覚えることがたのしく、季寄せを捲りながら外をゆっくり歩く時、すこし魔女のようだと思う。

 

先日句会で「アカシア食べたことある?」と俳句の友達(といっても母と同い年である)に言われ、思わず、マジですか、と後ろに下がった。秋田ではよく天ぷらにして食べるのだという。わたしが暮らしているのは隣の岩手だが、はじめて聞いた。なんでも、甘くてぽろぽろで、やみつきになるのだとか。

 

食べようじゃないの、アカシア。アカシアは木になる花でいちばん好きだ。

 

 

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アカシア、と言いましたが、一般的にそのへんに咲いているアカシアの名前は正しくはニセアカシアで、和名は針槐(はりえんじゅ)という。ちなみに、初夏の季語。

 

わたしの最寄駅には大きなニセアカシアの木がある。毎年衣替えで学生たちが一斉に白シャツになるころ、祝福のように咲き乱れる。とても甘い香りがしてくらくらする。においのつよさは金木犀に似ているかもしれない。ニセアカシアのそばを通ると、においが動いて、風の動きがわかる。

 

 

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ちょっといただいてきた。鋏を用意していなかったので親指の爪でつよく摘んで取った。わたしの住んでいるところは驚くほど田舎なので心配ありませんが、いちおう、きれいな空気のところに咲いているきれいな花を選ぶといいかも知れない。

 

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こんなに近くでニセアカシアの花を見たことはなかったけれど、ふっくらしていてやさしい花だね。

 

揚げていきます。天ぷら粉は市販のものがいちばんおいしくかんたんに揚がると思っている。衣は薄めにこしらえた。

 

 

よっ。

 

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なんだこの背徳感は。バグっているかんじがする。房のまま揚げるので持ち手の部分をすこし意識して摘み取るのがいいのかもしれない。

 

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180度の油に入れると、一瞬にして花のひとつひとつがふたたびばらばらになる。 おお。感動して母と眺める。咲いてる。咲いてるね。

 

火をよく通すべきものでもないと思うので、衣がからっとしたところで掬う。

 

 

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お皿が文字通り華やぐ。かるく塩をふり、熱いうちにいただきます。茎は硬いので、房のまま口へ運び、しごくように茎を出すのがいいらしい。

 

これが、甘くて軽くて不思議においしい。

いまの、何だったのだろう、と思いまた一口食べる。かり、くしゃ、しゅわ、となくなってしまう。味はたとえるならば旬のとうもろこしに似ている。みずみずしく甘いのだ。ニセアカシアの香りがあとからふんわり鼻に抜ける。アカシアには蜂蜜もあるが、蜂が蜜を吸いたいきもちがよくわかる。こんなに不思議においしい食べ物を知らなかったなんて。

 

 

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暮らしの中で花と親しくすることに憧れがあるけれど、白状すると、すみれの花の砂糖漬けやエディブルフラワーのサラダなどをこころのどこかで、けっ、と思っていた。わたしの身の丈には合っていないような気がしたし、まずもって、うまいのか?という疑わしさがあった。花を食べることで実生活がわたしから浮いていってしまうような、そういう怖さがあり、食わず嫌いをしていたのだ。

 

でも、よく考えると菊もいちじくも花だ。アカシアの天ぷらだって一部の地域ではおじいちゃんおばあちゃんがよろこんで食べている。そう考えるとこの食わず嫌いはとてもみみっちい気がする。花、食べてこ。

 

花の天ぷらは藤の花でもできるらしい。

これからは風に揺れる花を見るたび、季語、と思うより先に、おいしそう、と思うのかもしれない。

 

 

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