レモン汁を大さじ3も

 

どんよりとした空に雨が降ってうれしい。現代文を解くのに、心理描写、風景描写、って習ったじゃん。雨が降るのはかなしみを風景描写に託したものだって言われるのがすごく嫌だった。雨は感情を浸して透かすための水であって、涙なんかじゃない。

 

誰と戦ってんの?って他人を笑うやつは、その人に殴られた気持ちになっている。確実に。わたしはいったい誰と戦ってんだろ、と思うことが減った。身の回りにいる人のたいていが味方だし、そうじゃないとしても、戦うほどの相手じゃないか、戦ってもらえるまでこちらが鍛えなきゃいけないような憧れの的だから。

 

玲音ちゃんの短歌には闇がないって言われたことをずっと覚えている。そんなことないのにな、と思って、むかついたけど、結局それから2年くらいかけて、闇ってことはないけどたくさん傷付いて、そのおかげで自分がいかに知らずのうちに誰かを傷つけてきたかもわかった。でも、傷口の濃さで乗り越えてきた戦いの大きさを認めて、それを強さだなんて言うのばかみたいだよ。不幸なエピソードじゃないと賞取れない作文コンテストなんてなくなっちゃえばいい。それでも泣ける映画でだれよりもはやく泣いてしまう。誰かに対していつでも、大丈夫だよ、そんなの僻みだよ、うらやましいだけだよ、わたしは何も変わらずあなたが好きだって、自信を持って言ってあげられるように準備している。しあわせものにきみのかなしみはわからない。なにが悪い。全員の不幸に目線を合わせてしまったら、いつの間にかもう戻れないくらい深いところに行ってしまうよ。傘と鞄を持って電話したら、あともう何も持てなくなるみたいに、守る人を選ばないと簡単にだれも救えなくなっちゃうのが、いまはこわい。認知症の研修会で、大きなカゴに入っていたカラーボールをどんどん小さなカゴに移して、入らなかったボールが次々床に転がって、こうやって脳が小さくなって忘れていくんです、って言われた時のおそろしさ。その最後のカゴに入れたいものかどうか、そろそろ選んだほうがいいのなあ、とか。

 

 

  

 

スーパーにクリームチーズが売っていて、買おうかどうか迷った。あの時教わったミキサーで作るベイクドチーズケーキを今日作ることが、わたしにとって良い意味でも、母にとってはそうではないかもしれないから。レモン汁を大さじ3つも入れたから、ヨーグルトみたいな味のするチーズケーキだった。買ったばかりのオーブンで何度も作って、当時好きだった男の子に何度もあげたりした。その思い出しかないのは、それ以外のすべてを無意識のうちに忘れようとしたからだと思う。

 

勝手な人がたくさんいるって知った。あたまが悪い人も、びっくりするほど暇な人も。その中に、どうしてか、かなしみを人よりも多く背負ってしまう人がいる。その人に、わたしも持とうか?なんて軽々しく言えないこと、場合によっては背負うことを生きがいにしている人もいること、でも、それがわたしの愛する人なら、少しでも多く笑って暮らしてほしいこと。余計な荷物は全部置いていってもいいってことを、どうやったら。

 

 

なんで職場に傘を置いてきたんだろ。バスを降りてから5分間、堂々と雨に打たれつつ突然心細くなって、ああ、そうだった、風景描写によって心理描写が変わることもある。赤線を引く。

 

 

命日なのに拝みに行かなかった。ふたつも夏が過ぎる間に、わたしは一度もチーズケーキを焼いていない。

 

死んじゃだめなんだよ。