0922

 

雷ちゃんが昨日誕生日だったと言うのでいそいで約束を取り付けた。川沿いのベンチでコンビニのおでんを食べよう、と約束したものの、誕生日だぞ…と思い、100均でしょうもないきんきらのハッピーバースデープレートと、浮かれた眼鏡と、数字のろうそくを買って、ケーキを買いに行こうと決めた。10億円!と書かれた宝くじ屋の旗の前で待った。

 

紫芋のモンブランと天使の羽がくっついたようなバニラのドーム型のケーキを買って、パリャーソへ行った。夜に行くのははじめて。おとうさんがにこにこ出迎えてくれる。貸切状態だ。まどろっこしいくらい丁寧な説明を聞いてから食べるチーズのなんと濃い匂い。舌先がうらがえりそうになる。白ワインをふくむと口蓋がひろがる。お互いの愛の話をしていたら、窓の外で鳥居をくぐる猫を見つけて、雷ちゃんが「あっ!」と指さす。しっぽ太いねえ。

 

パスタの牡丹海老はほろほろと崩れ、つるむらさきの茎がほろ苦く、ワインとよく合った。ゆ〜っくり一杯飲んだだけで、心地よく酔っ払った。

 

ケーキは外で石階段に座って食べるつもりだった。川沿いを歩いているとふかくさのランタンが灯っていて、ピアノの音が聞こえてきたから思わずふたりで立ち止まる。おじいさんがすごく綺麗な手つきでピアノを弾いていて、その後ろで別のおじいさんがにこにこしながら、次、パヴァーヌな、とか言っている。ジブリみたい。目の前の作り物みたいな光景に思わず笑ってしまう。しばし眺めているうちに、店内の全員が、入って聴いていきな!と手招きしだす。マダムに「あの、この子誕生日なのでケーキ食べたくて」と言うと、「もちろん!食べていいよ!コーヒーか紅茶を出すわ、あ、ねえ、誕生日ですって!ハッピーバースデー弾きましょう!」あれよあれよと小皿とフォークが出てきて、ろうそくに火をつける。お店にいた人みんなが立ち上がり、出窓からはテラス席のお客さんが身を乗り出してこちらを覗き、マダムの指揮でおじいさんがハッピーバースデーを弾く。ひゅー!おめでとう!ワインやビールを差し出されるたび、わたしたちはお冷やを合わせた。夢みたい、と雷ちゃんが涙目になる。そうだね、こんな、こんな。ろうそくの火が消えると、川沿いの、蔦にまみれたちいさな喫茶店で、それぞればらばらの大人たちが大きくてふわふわの犬を撫でたり、ウィーンの旅行雑誌を眺めたり、上弦の月の話をしていたりする。「お姉さんたち、盛岡っていいとこだろ?」頰をあかくしたおじいさんが笑う。ちょうど、わたしたちもそう思ったところです。ピアノがお兄さんにバトンタッチされると、お兄さんは冬のソナタを弾いて笑いを取ったあと、スピッツ空も飛べるはずを弾いた。みんなで歌う。よく知らなくて歌えない人はみんな指揮をしている。めちゃくちゃだ。川に夜の街の光が映る。柳がやさしく揺れる。「いい夜だねえ」と誰かが言い出すと、空いたグラスにワインが注がれる。

 

ここに集う人たちは趣味も職業も年齢もその日によっていろいろで、けれどその日その日でみんなこうして仲良くなってしまうのだという。viviと呼ばれているママ、どらちゃんと呼ばれるやさしい顔のお兄さん、天文が趣味のおじいさんと画家のアサさんと野鳥が好きなおじいさんとピアノ弾きのおじいさん。たまたま学会で盛岡に来ていたという韓国人のお兄さんの名前がサンさんで、雨のわたしと雷ちゃんは目を丸くする。「わたし、レインです!」「わたしは雷!」「僕はサンです、でも今夜はこんなに天気がいいから、僕の勝ちですね」みんなで笑う。きみたちはどういう友達なの?と聞かれ「わたしは雷ちゃんって名前を聞いたときに、これはもう運命だと思ったんですよ」「わたしはもともと彼女のファンで、彼女の本を買いに書店に行ったら本人がいたんです、それで」思わずふたりであわてて話し出すと、みんなが「なんて素敵な友情なんだ!」「どうしてこうもおもしろいひとばかり集めるのかしらねえここは」「ようこそ!夜のふかくさへ」と笑う。ドッグくん、と呼ばれている大きな犬が、雷ちゃんのことを賢そうな瞳で見つめたあと、ゆっくり、ゆっくり、手の甲を舐めた。

 

促されて雷ちゃんがピアノの椅子に腰掛ける。と、風が吹いて、さっきまで笑顔でふにゃふにゃしていた目に静かな火が燃えた。瞬間、つよく、繊細に、力強く、たー!っと、雷ちゃんがピアノを弾いた。思わず全員が息を飲んでしまう。全然弾けない、って言ってたくせに…。すこやかで伸びやかで、聡明だった。指がはやくてよく見えない、ただ、その横顔は本当に美しく、ピアノには魂が宿ったように見えた。みんなが見ほれはじめたそのとき、あっ!短く叫んで雷ちゃんが手を止める。「まちがっちゃった!」みんながワッ、と笑う。かわいい。

 

天文好きのおじいさんが、来月に川の麓で月を見る会があるから是非おいで、と誘ってくれる。「レイン!次はきみの誕生日をみんなで祝おう!」「ぜったい約束ですよ!」またおいで、またおいで、とみんなに手を振られてお店を後にしながら、ふたり同時にため息をついてしまう。なんだったんだろ、この夜。「レインちゃんと一緒にいると映画みたいな事ばかり起きるね」と雷ちゃんはそう言って、さっき弾いた曲が〈ギロックのこどものためのアルバムより、雨の日の噴水〉だと教えてくれる。雨の日の噴水。わたしはほんとうに、どうしてこういう素敵な人ばかりに恵まれてしまうんだろう。

 

帰宅してから、白ワインの乱反射する光が雷の色だと思ったことを言い忘れたことに気がついて、でも、また会えるしいっか。奇跡みたいな夜が、わたしたちには何度でも訪れる。