12月15日

これだけ生きてきて同じ曲ばかり聴いているんだなあ。全曲シャッフル再生しても似たような曲が流れてきて、似たような気持ちになる。蓮沼執太のhello everything、サンキャッチャーを買った日にずっと流していたなあ、とか。

 

あのときの情熱の速度、厚さ、もう二度とあんな風にこころに身体が追いつかないことはないような気がしていたけれど、沸き立つものだと思った。15分の劇を見た。白い衣装が未来の象徴だったとしても、あれはわたしだと思った。わたしがいままでにしてきたことそのものだと思った。そうか、沸騰石で、生活を、人間を再演してみせるものが、再熱させてみせることが、それに苦心するものが、演劇なのか。400年の、10分間の、空色の背景に白い文字の。2020年、わたしは26歳になる。ずっと昔から結婚しようと決めている年齢だ。そのときほんとうにこの国はお祭り騒ぎで冷ややかに熱狂するのだろうか。わたしは400年以上の愛をものにすることができるのだろうか。その頃までにわたしはあの小石の上に乗り続けることができるのだろうか。いままで悉く小石の上に乗り続けることができなかった。乗り続けることは、それをやめるよりもわたしにとってはむずかしいことだった。好奇心に何かを失うことを待っていた。よく滑る靴下をわざと履いたり、フルマラソンで乗ったり、小石を失くしてしまおうとした。

 

全然点数が入らなくてがっかりした。シードルを普段の5倍の速さで飲み干して、タクシーの中で泣いた。423歳のわたしと会えたことがうれしくて泣いた。こういう気持ちに、ほんの一瞬で沸騰してしまったことが、悔しくて泣いた。一晩経ったら、あんな特別な、魔法を魔法と理解して泣きじゃくることのできた人間が、エストロゲンとセレトニンのことがわからなくても小石に乗ることの意味はわかる人間が、この狭い街の、狭い業界の暗い部屋の中で、3人もいたのだと思えば十分だと思った。

 

帰宅して水をたくさん飲んで、まさよのくれたギンビスを冷やして食べた。一回溶けたのか、海の生き物である以外なんの生き物かよくわからない、それを一気に4つも5つも咀嚼した。ミドリから、玲音のくれた紅茶、こんなおいしいものあるかってくらい美味しかったよと連絡が来て、わたしはこの人と、ずっと遠くにある喪失を糧に暮らしていくのだと思った。緑のパーカーを着たいつもすれ違う青年こそが、わたしにとっては。ここにいると今日までのすべてが昨日になる。一緒に住んだら手とか繋がなくなるかね、そしたら、さみしいかね。なんで、家の中でつなげばいいじゃん。そっか、たしかに。

 

シャッフル再生でコーネリアスが歌っている。あなたがいるなら このよは まだ ましだな

夜ごとにかわいい女の子の手首にモールス信号や星座や座標軸を描いてきた。誰よりも早く退店する、わたしのことを忘れないで。

 

 

ネズミの肘みたいな曇天だ。ネズミに、肘、あるか知りませんけど。